新着 デビッド・ホセ・ルビオ 1967年製
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ネック:マホガニー
指 板:エボニー
塗 装:セラックニス
糸 巻:ライシェル
弦 高:1弦 3.1 mm/6弦 4.2mm
[製作家情報]
David Jose Rubio (1934~2000)本名David Joseph Spink。20世紀以降のイギリスにおけるクラシックギター製作の嚆矢となり、その後の文化的素地を形成し、現在もフォロワーの絶えることない多大な影響力を有した天才的な製作家です。またその才能はクラシックギター製作のみならず、1970年代以降はハープシコードやバロックヴァイオリン等の製作においても発揮され、当時ちょうど再発見のブームにあった古楽演奏のフィールドに大きく貢献しています(彼の製作したハープシコードは古楽演奏の大家グスタフ・レオンハルトがバッハ演奏のレコーディングで使用しています)。彼の工房ではポール・フィッシャー、E.B.ジョーンズ、クリストファー・ディーン、カズオ・サトーら多くの優秀な弟子をスタッフとして登用し、それぞれが独立後もすぐれて創造的なギターを世に出していることからも、メンターとしても非常にすぐれ、かつインスピレーションを喚起する存在であったことがうかがえます。
ルビオ自身の経歴はとてもユニークかつ「アーティストらしい自由な」もので、大変に濃密。青年期から医学を志し専門学校に通っていましたが、色盲のためこれを断念。それから一気にシフトチェンジし、スペインに渡りジプシーコミュニティとの交流のなかでフラメンコギターを演奏するようになります(この時彼はセビージャ出身のフラメンコギタリスト、Pepe Martinez に演奏の手ほどきをうけています)。スペイン各地を廻り、それぞれの地でいくつものギター工房を訪れた彼ですが、特にマドリッドでは当時はまだEsteso を名乗っていたコンデ・エルマノス工房に「ギタリストとして無駄話をしに」行き、ファウスティーノ・コンデが製作する様子を見つめながら(決して製作法について教えを受けることなどはなく)2年間を過ごしたそう。ルビオのギター作りはその根底にサントス・エルナンデスやドミンゴ・エステソの影響が如実に表れており、これはこの時の経験によるものと思われます。その後ギタリストとしての確かな腕前を認められ、彼はあるフラメンコ楽団の演奏旅行に同行し、1961年にアメリカ、ニューヨークの地を訪れます。この都市の魅力に刺激されたのか、彼はここでまたしても軽快に方向転換し、ギタリストの職を辞して同地に留まることを決意。2年間夜学に通いながら家具製作工房で働き、1963年グリニッチヴィレッジに自身のギター工房を設立します。全く驚くべきことに彼はスペインのギター工房で見て記憶した技術だけで、造作的にも芸術的にも極めて完成度の高い楽器を最初から作っています。そして素晴らしい偶然がここで起こることになるのですが、工房を開いて数か月が経った頃、ちょうどニューヨークを訪れていた名手ジュリアン・ブリームがコンサートで使用していたロベール・ブーシェのギターの修理依頼にルビオを訪れます。その修理内容に満足するとともにルビオの才能を見抜いた彼はブーシェコピーの製作を提案すると、ルビオはこの歴史的名品の構造的特徴を瞬時に理解しさらにそれを見事に応用したギターを製作。ブリームは1966年製と1968年製の2本のルビオ製作のギターを愛用することになり、彼の名盤の一つ「20th Century Guitar」などで使用しています。
1967年にイギリスに戻り、ブリームの勧めでSemleyに彼の所有する敷地内の邸宅を工房として製作を継続。ブリームの名演によって一気に世界的な名声と需要が高まり、1969年にはOxford 近くのDuns Tew に工房を移転します。ここでポール・フィッシャーが工房スタッフとして加わるとともに、ルビオの製作する楽器ジャンルも一気に多様化してゆきます。特に古楽器のジャンルでの展開は目覚ましく、ハープシコード、リュート、ビウエラ、テオルボ、バロックギター、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・ヴァイオリン、バロック・チェロ等ほぼ主要弦楽器を網羅しており、当時の世界的な古楽ブームとあいまって飛躍的に需要を伸ばします。1980年代にはさらにCambridge に工房を移転し、ピリオド楽器だけでなく現代の工法による弦楽器にもラインナップを拡げてゆきます。このような製作事情から1970年代以降はルビオ自身によるクラシックギターの本数はかなり少なくなり、出荷されるルビオラベルの大半がフィッシャーらの職人によるものになっています。このことからルビオ本人作のギターには特別な価値がつくようになり、その判定の可否もしばしばギターマーケットでは話題になりますが、本人直筆のサインの有無(ボディ内部、ラベル等に書かれたもの)を判断基準とするのはいくつかの事例から考慮しても早計に過ぎると言わざるを得ないでしょう。
ルビオ本人によるギターは、その細部に至るまでの精緻な造作と良材の選択、威容と気品を備えた外観とデザインは彼の出自であるスペインの伝統の深みを十分に感じさせながら、同時に現代的でとてもスタイリッシュなもの。そしてやはり彼の特徴はその音色と響きにあります。異様な密度をもつ単音とそのサスティーン、深みと艶、アイデンティティをしっかりと持った表情の繊細さと豊かさ、全体の透徹としたバランスと迫力など、すべてがクラシカルな表現に相応しく、比類のない素晴らしさ。初期のニューヨーク時代からイギリス時代後期に至るまで作風を少しずつ変えていっており、特にニューヨークからSemley時代のものが人気が高くなっていますが、この時期の繊細な力強さとはまた趣を異にする1970年以降のものは、そのどっしりとした悠揚たる響きゆえに他にはない魅力をもっています。
[楽器情報]
デビッド・ホセ・ルビオ 1967年製 No.120 ヴィンテージの入荷です。ラベルには本人サインとNew York スタンプがあり、またボディ内部サウンドホール横低音側にも本人サインとNew Yorkの記載あり。文字通りルビオ ニューヨーク時代の最後の年に作られた一本であり、この時期の彼ならではの濃密極まりない響きが十全に楽しめる個体とななっています(ラベルはJose Rubio 名になっています)。
内部構造はサウンドホール上側に2本、下側に1本のハーモニックバー(下側のほうのバーの低音側には4~5センチほどの幅で高さ数ミリの開口部が設けられています)、扇状力木は左右対称7本が配置され、それらの先端をボトム部で受け止める2本のハの字側に配されたクロージングバー、そして上部を波型に加工したバーがブリッジプレートと同じ線上に高音側だけに設置されており、7本の扇状力木のうち高音側の3本がそのバーを貫通してボトムまで伸びてゆく形に設置されています。このバーと扇状力木との構造はロベール・ブーシェのいわゆるトランスヴァースバー(ブーシェのこれは表面板横幅ほぼいっぱいにわたって設置され、扇状力木すべてがこのバーを貫通する形になっている)に影響を受けながら、それを高音側だけに、しかも上部を波型に加工して設置するというクリエイティブな採用を行っている。レゾナンスはG#の少し下に設定されています。
「クリスタルベルのような」と称えられた高音の濃密な響き、中低音から低音にかけての引き締まった重厚な音像はまさにこの時期のルビオならでは。発音から減衰の瞬間までの表情は常にその密度を保ちながら、旋律を奏でれば有機的なうねりとなってつながってゆく感覚はなんとも素晴らしい。そして音量のダイナミズムと反応性も俊敏かつ極めてレンジが広く、また休止の際のさっと沈黙する様子までもが音楽的。ヴィンテージに相応しい名品です。
表板、裏板共に複数の割れ修理箇所がありますがそれぞれ適正な処置がなされており(ルビオのフォロワーであるブライアン・コーエンが修理を施した旨ボディ内部にラベルが貼っていあります。その他は年代相応の状態で演奏性に影響のある箇所は特にありません。
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